「家族」と聞いて、皆さんはパッとどんな印象を受けますか?
「やったー!今夜は僕もパパも大好きなハンバーグだ!ママありがとう?」
のような一家団欒の図が浮かぶ方、
「家族でも、娘や息子は可愛いけど、旦那はねぇ…?」
なんて、ため息をつく方、
「家族なんて邪魔なだけ。俺はずーっと一人で気ままに生きていきたい?」
と、スーパードライな考えを持つ方
などなど、そのイメージも実際の家族の在り方も本当にそれぞれですね。
少し前に、「毒になる親」という言葉が生まれました。
よくドラマなどで、
「どんな親でも、子供は可愛いもんだ」
「何だかんだ言っても、家族なんだから」
と言ったセリフや場面が出てきますよね。
私はそれを見聞きする度に、
あーーーーーーーーーー?
と言葉にもならない複雑な気持ちになります。
私自身は、幸いにも親からはっきり傷つけられた経験はありません。
甘々で育った面すらあるかもしれません。
が、それでも、
「いつも、お母さんは、こうしてくれなかった」や「この時、お父さんは、あんな表情で怒った」などなど些細に見える思いの積み重ねが、自分自身の生き辛さに繋がった側面を自覚しています。
もちろん完璧な親なんて存在しないとは思いますが、(だって、早ければ20歳そこそこで親になってしまうんですよ?)
余りにもあまりにも、未熟で勝手な親は思いのほかたくさん発生し、存在している現実に暗澹たる思いにかられることもあります。
そんな親に育てられたお子さんは、判で押したように「問題のある子」(生きることに苦戦する子)になり、生きることに苦戦するまま親になってしまうという悲しい現実もあります。
そして、その中には厳しい連鎖をきっちり断ち切って、眩しいほど幸せな人生を歩む人がいます。
その方々の共通項は、
「親を大切に思えない自分を許している」
んです。
親を好きになれない。
むしろ存在すら忘れたい。
そこまで親に追い詰められて持
持つ当然の感情を受け容れるのは、容易いことではありません。
ちらっと思いを語ってみると、親戚や知人友人は、
「どんな親でも、子供は可愛いもんだ」
→だから、許してやれ
「なんだかんだ言っても家族なんだから」
→分かり合えるはず
といったリアルな言葉や価値観を悪気なく投げかけてきたり…。
やっとの思いで離れているのに、
「たまには顔見せてあげたら?そこまで拒否するなんて人としてどう?」
なんてお説教する方も現れたりして……?
これを読んだ皆さん。
お子さんやパートナーを愛し、親御さんを大切にして、素晴らしい家庭を家族を築いている方もいらっしゃるでしょう。
が、家族の在り方や思いようは人それぞれです。
皆が皆、自然に家族を愛せる愛されるとは限りません。
どうぞ、親から自立したい、離れたい、忘れたいような思いに至った方へ、不用意に「家族なんだから」という声をかけない配慮をお願いします。
抑うつ症状の方に「がんばれ!」が禁忌であることは、かなり広まったようです。
親からのさまざまな虐待を受けた方への安易な「許してあげなよ」も避ける風潮になると良いなと思っています。
よく見ると、意外とトロピカルなニチニチソウ。